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1.土地改良事業の歴史
八重山地方は、昭和46年3月〜9月にかけて「連続旱天日数191日」にもおよぶ未曾有の大干ばつがあり、農作物が
壊滅的な打撃を受けました。全郡民あげての決起大会行われ、本土復帰(昭和47年)後にダム等を造る為の調査が開始
され、昭和50年から調査が始まり、昭和52年真栄里ダム皮切りに工事が開始されました。
2.土地改良区の歴史
石垣島の土地改良区は、復帰前に琉球政府営土地改良事業を実施する為、石垣・平得田原・轟・荒川土地改良区が
設立されていました。復帰後の昭和51年7月宮良川、昭和52年12月大浦川、昭和58年11月名蔵川土地改良区が国や
県が造った施設を管理する事を主な目的として3つの土地改良区が設立され、平成20年4月にこの3つの土地改良区が
合併して出来たのが石垣島土地改良区です。石垣島の農地面積が5,490ha(平成18年7月現在)のうち、石垣島土地改
良区の受益面積(範囲)は4,605haで、石垣島全体の84%になります。
3.土地改良区の役割
a. 土地改良区とは、一定の区域内で土地改良事業を行うことを目的として設立された公共組合です。
b. 土地改良区の行う土地改良事業とは、農業生産の基盤の整備を図り、生産性の向上、選択的拡大等を目的
としています。
c. 土地改良事業では、ダムを造ったり、土地の区画を成形化したり、かんがい用水施設(スプリンクラー等)を
造ったりすることです。
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